よしまり。@yoshimarilogです。
「育てにくい」という母親の体感は、けっこうあたっていることが多いと思います。
「この子、なんか愛情を吸収してくれてないような感じがする・・・」
これは私が息子生後3か月くらいのときにふと感じたことですが、
周りからはわからなくても、母親は「あれ??」と感じでいるようなこともあると思います。
今回は、
- なんとなく自分の子供は育てにくいと感じているママ
- 自分の子育てについて、自分を責めてしまっているママ
に向けて、
- 自閉症と診断してもらった経験
- 診断を受けてよかったこと
を書きたいと思います。
Contents
育てにくい息子
今小学校3年生の息子は、0歳のときからどこか育てにくさがありました。
- 笑わない
- いつもなにか考えていそう
- かわいいね~ よりも、頭よさそうだね~ と言われる
- 不機嫌なことが多くて、「寝起きなんです」と周りによく伝えていました。
で、そのこと自体は少し寂しいけれど、そんな子供として愛しているし、1歳くらいまでは何事もなく過ごしていました。
それになにより、私から見ても、本当に賢そう!!( ´∀` )
でもだんだん、
- 執着する
- 執着した結果の行動が激しすぎる(頭を殴打したり、床に頭を打ち付ける)
- 激しく「アーー!!アーーーー!!!!」と怒鳴る
こんな行動が増えるにつれ、子育て中の自分の対応を思い返して悔いるようになってきました。
本当に、悔いるべきことも、いっぱいしてしまいました。
夫婦で荒い言葉遣いで喧嘩をしたり、
100%を受け入れていなかったこともある。
そもそも、私は本当に愛情があったのだろうか、
周りの目を気にしながら育てていたかもしれない。
たとえば、ママ友と10時にお約束があったとする。
そこで、出かける直前にぐずったら、やさしいママは子供のペースに合わせるところ、
わたしは息子を無理やり着替えさせてしまっていたな、とか。
毎日毎日、そんな小さなことは同じように繰り返される。
息子の癇癪がすごくて気が参ってしまうたび、過去のことを思い出して悔いる。
一方で、
悔いたその日も同じように、きっと明日また悔いるであろう行動をとってしまっていた。
こんな感じに、どんどん追い込まれていきました。
助け舟①~母親講座などコミュティーに誘われたこと
すぐに病院にお世話になったわけではありませんでした。
支援センターに通って、子供を遊ばせている中で、全12講座くらいある母親講座(毎回託児つき)に誘われ、2回ほど参加しました。24講座くらいアクティブラーニングをしたわけだwすごい!
そこでのつながりは未だに残っていて、ママ友ができました。
ただ、良くも悪くも、教科書通りの言葉をたくさん聞いて、
改善や悪化を繰り返しながら、やっぱり元の落ち込みに戻ってしまいました。
助け舟②~幼児教育の先生のブログ
息子が4歳ころには、ADHDかもしれない、と考えるようになりました。
それと同時に、私との間の愛着障害かもと自分を責めることもありました。
そんな中、私が子供のころにお世話になった、幼児教育の先生に相談したり、ブログを拝読しました。
私自身の受けた育てられ方の影響
育児書を読んで、「こういうことはよくない」「これは愛情とは言えない」と書かれているひとつひとつを、自分もしてしまっているなと思う一方で、自分の幼少時代も同じことをされていたと思い返して辛くなりました。
これは、自閉症と直接関係するところではありません。
でも、自閉症傾向にある子供を、100%の愛情で包むには、
自分自身が母親と基本的信頼関係ができているか、
もしくは、ちゃーんと、そういうことを理解しているか、どちらかじゃないと難しいと思います。
母親がまず、自分の性格のルーツを知って、受け入れること。
助けられた言葉:気づいたことで、ほとんどが解決
自分の性格のルーツを振り返っても、たいがい悲しくなるだけなんですけど、さすが先生。
『でも、大丈夫。
たいがいの問題は、気づいたことでほとんどが解決しているんだよ。』
と。
私も、どこかに『冷淡』があるかもしれないけど、それを理解して、受け入れて、長い時間をかけてきっと変われるんだ。と考えるようになりました。
そこから3年。大きくは事態は変わらないけれど、荒々しい毎日を過ごしました。
病院での診断
診断してもらって、ほっとした
お友達のアドバイスで、病院に行って相談すると、
それは当たり前のように診断名はつきました。
高機能自閉症
(予想していたADHDではありませんでした。)
ほっとしました。
夫婦で行って、夫とは折り合いは良くありませんでしたが、それでも夫婦でしっかり聞けて、大きな進歩だと思っています。
とにかく、母親の私にとっては、よかった。
息子も、このころには、毎日毎日「しにたいしにたい!!!」て叫ぶ日々。
もちろん、学校から帰った後、行く前、対応するのは私。
(今これを書きながら、あの診断の日から1年くらい、少し良くなっているのではないかと思います。しにたいしにたい言いながら、階段の上からわざとオシッコをばら撒いたりはしなくなりました。)
これはもちろん本心ではない。
僕を愛して!!て。
でも、親はこう思っている。
「こんなに愛しているのに。なんで伝わらないの?」
って。
夫婦でも差異はあって、
「もっと優しく言ってよ!!」
「いやいや、この愛伝わるだろ??」
て。地獄絵図が伝わりますか。みんな必死。
お母さん、怒っているんじゃないよ、助けを求めてる
先生の言葉。
「お母さん、怒っているんじゃないよ、助けを求めてる」
これ、私には衝撃。
だって、私、無自覚で、状況の説明として、
「息子は毎日怒っていて・・・」
という言葉をセレクトしてたから。
助けを求めてる。
また明日忘れるかもしれないけれど、今日は体に染み込ませて寝よう。
母親9年生、振り返ってみたら、成長してるな~
今日もいろいろあったのだけど、
このブログで振り返ってみたら、なんとかやってこれていると感じました。
決して、改善しました!とは言えません。
病名をもらうこと・家庭以外の受け皿ができることの救い
出される薬の問題、
(ここで出される薬は、対処療法的なもので、性格が変わるものではないこと。
子供が眠たそうになること。など、
賛否両論があり、今はうちは飲ませていません。
ただ、自傷行為・他傷行為がある場合は、よくよく相談した方がいいと思います。)
病名はほぼ何かつけてもらえるので、それをどうとらえるか。
など、問題はありますが、私のように救われる人や、
本人も、もしかしたらもう少し大きくなれば、自分で生きづらさを感じていることもあるかもしれない。そのときは、助けになるかもしれません。
【ADHDかもと思った5歳児のときに読んだ本】